ゴルフ三昧
ドラゴンズの話題
・和田、セ界心配ない ノリと守道さんがバックアップ(大本営トップ)□
高木守道氏「すごくいい補強になったと思うよ。福留のこともあるからね。高校の後輩?まあ特別な意識はないけど、打つことに関してはすばらしい技術は持っている。打って結果を残してほしいね。
岐阜の人は喜ぶだろうね。ファンも増えるんじゃないか」(大本営)
中村紀「ボクはこっち(セ・リーグ)に1年しかいないけど、いいアドバイスができればと思っているんです。
(セとパは)明らかに違います。自分を変えることも必要だと思うし、変えないということも必要だと思います。そういう面を自分が言っていければなと…。
和田さんの方が1年上ですが、打撃の話をよくしました」(大本営)
田中スコアラー「(ハワイから)日本に戻ったら、映像担当者を中心にDVDを作る予定。最近は交流戦もあるから和田もセ・リーグのことは知っているだろうけど、詳細は見ないとわからないからね」(大本営)
記事本文中に出てくる清原と片岡のうち清原のほうは
ライオンズ最終年とジャイアンツの初年でそんなに成績が変わっているわけじゃないです(Wikipedia『清原和博』□)。
むしろライオンズの最後のほうから下り坂だったのに
ジャイアンツ移籍でも再浮上しなかったというだけで
そういう意味で和田もそこそこは打つんじゃないんですかね。
『合格ライン』をどこに設定するのかが問題なだけで・・・
あと和田で「岐阜のファンが盛り上がるという」のは自分の理解の外の話。
・中日・ノリ“自主トレ”開始? ゴルフコンペに参加(スポニチ)□
・ノリ、ハワイ居残りで来季へ備え(日刊)□
中村紀「日本からの飛行機がキツかった。動かさないと腰が固まる。ゴルフすることで歩くことになる。徐々に腰をほぐしたい。ジョギングがわりになるから」(スポニチ)
中村紀は優勝旅行後もハワイに残ってゴルフトレーニングの予定
・落合監督、貫録勝ち 1年ぶりゴルフですがセンスいい~!!(大本営)□
・笑顔でラウンド落合監督、25位フィニッシュも満足(スポニチ)□
落合監督「ゴルフだけは会長(井上)に付き合ってやる。
1年ぶり? そうそう。だってうまくなろうと思ってないもん。
スコア? 予定通りだよ。いつやっても100前後。疲れちゃったな」(大本営)
立浪「きょうはあまりよくなかったね。新しいドライバーの調子が・・・」(大本営)
「同組のメンバーには足を引っ張られましたが、ハンディに恵まれました」(日刊)
谷繁(小6の息子が103で33位)「(コースを)何回か回ったことはあるからね」(大本営)
ハワイのゴルフコンペは立浪が優勝
似たようなスコアの面々で組を作っていたようですね
立浪と同組は川上、井端、中村紀でグロスでは4番目だったようですけど。
ベストグロスは中村紀
落合監督は山井、岡本、中田と回って25位
しかし大本営も『竜の帝王・立浪』って・・・
堂上剛「体を動かそうかなと思って。」(日刊)
堂上剛はハワイでもランニング。
・山内、“立浪指令”守り開幕1軍だ 楽天・長谷部と合同自主トレ(大本営)□
・山内が長谷部と母校で合同自主トレ(日刊)□
・楽天・長谷部&中日・山内が母校で“暴露”トークショー(サンスポ)□
山内「とにかく走る量がハンパじゃないそうですね。まず練習についていけるように、ランニングをしっかりやっておかないといけないです。
大みそかと元日はいろいろと用事が入っていて練習できないと思うけど、休むのは2日間だけ。2日からはゴルフ場を走るつもりです。
走るのは…、得意じゃないです。
キャンプで頑張って、何とか開幕1軍でやれるように頑張りたい。」(大本営)
山内は親が支配人のゴルフコースで始動かな
新井「バッティングを教えました。子供に教えるのは楽しいですよ」(大本営)
春田「子供が相手なので、細かいことは言わずに、楽しくやろうと思って教えました。子供たちが楽しんでやっているのを見て、野球は楽しいんだなあとあらためて感じました」(大本営)
岩崎「守備も教えましたが、小学生はバッティングが好きで目の色を変えてやります。子供たちに教えるので、わかりやすく説明しなければいけないのが苦労するところです」(大本営)
前田「小学生なので基本を教えますが、教えることでその大事さに気づきます。小さいころにいろんな人に教えてもらったので、僕も子供たちに伝えたい」(大本営)
居残り組は親会社主催の野球教室
新井と春田が愛知県豊明町。
金剛と岩崎が愛知県一宮市
沢井、中村公、前田、中里、佐藤亮が愛知県大府市で
長峰「たまには気分転換にバットを振ろうかと思ったんですよ」(大本営)
さらに居残りの長峰は屋内練習場で気分転換の打撃練習
・元中日コーチ・島野育夫氏死去 星野日本代表監督「北京に来てほしかった」(大本営)□
星野代表監督「きょう、会いに行ってよかった。元気じゃなかったなあ。苦しんでいたので、手を握って、『このヤマを越えろ。また、野球をやろう。明日、またくるからな』と言って別れた。オレのユニホーム姿を神戸でよくみてくれた。教えられたことばっかり。オレのわがままばかり聞いてくれた。年が2つ上だったけど、(山本)浩二や田淵と違って、また何でも言いあえる仲だった。北京に来てほしかった。迷ってる時、『島ちゃんどうするんや』とよく聞いたし、こないだ(北京五輪アジア予選)もよくあった。オレが寿命、縮めたのかなあ。わがままばっかり言ったから。全部、聞き入れてくれた。12月の忙しい中、今日しかない時に死んだんだ。なんで、死ぬ時まで気をつかうんや。オレがあの世に行った時、『いいチームをつくっといたから。さあやるで』と言うんやろな。野球人生で島野とめぐりあって幸せだった。北京に一緒に連れて行くよ」(大本営)
彦野利勝氏「信じられません。ショックで何とコメントしていいのか、わかりません。島野さんに一番怒鳴られて、しごかれたのは間違いなく私、でも、一番可愛がってもらえたのも私だと思っていますから。僕がレギュラーになれて、88年の優勝に貢献できたのは、島のさんあってのこと。本当にショックです」(大本営)
小松辰夫氏「よくないとは聞いていましたが、本当に寂しいし、残念です。とにかく選手に人望のある人でした。去年、お見舞いに行ったとき、もう一回、一緒に仕事しましょうよといっていたのですが」(大本営)
大豊泰昭氏「残念としか言いようがないです。プロに入りたての頃、外野手としては素人同然の私を一から指導していただいたこともあり、特別な思いがあります。怖い顔をしているけど、気がついたら優しい存在だった。いつも『人のプレーを見て盗め』と言われたのを思い出します」(大本営)
E関川コーチ「ショックです。寂しい。親父みたいな人ですから」(大本営)
T高橋光「信じられない。病気をされたことは知っていたが、徐々に回復されていると思っていた。最近では今シーズン中、島野さんが甲子園に来られたときにお会いしています」(大本営)
ドラゴンズでも監督代行や星野監督時代のコーチを歴任した島野育夫氏が他界。
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